くれぐれも、徒然に。

色々な障害を抱えています。幼い頃からの苦しい出来事からはじまり、もう良い歳ですが時が止まっている男の徒然日記です。

生きる意味を見出せど。

食する事が当たり前のように 人は我のままに欲してしまう

それは普通のこと。

おなかがすいたと頬張るそれは どこかで生きていた命

そんな不自然を自然にして そういうものだと都合良く捕食をして[活きる]

それは欲も同じこと。

そんな自分に そんな周囲に気づいてしまった時 吐き気を覚えた時

生きる意味など なんと醜いことか。

僕はそれに疲れた。

こぶし。

人を傷つけてしまった時 その後悔に胸を痛める。

だけどそれでその悔やみばかりを見てはいけない。

じんじんと受けた傷の痛みを感じている人がいるのだから。

人を傷つけてしまった時 その後悔に心が溺れてしまう事は 相手を強く殴った自分の拳を ただ心配している事でしかない。

その握った拳を優しく開いて 転んだ心に思いを伸ばして はずみでついた埃を払ってあげる事

それが出来るのもまた そのあなたの心の拳、てのひらでしかないのだから。

雨にぬれても。

心に雨が降るみたいに 悲しい時、寂しい時。

土砂降りの中でぽつんと立っているような気分。涙もその雨に打たれて、自分が泣いているのかも分からなくなってしまうような苦しみ。

生きていて誰でも何度か訪れるものです。

僕も何度潰れた事か… とても情けないほどでした。 今もきっとあまり変わらないのでしょうけど。

でも、そんな土砂降りの後は 必ず晴れるものだと僕は思います。

台風の後。澄み切った青空が広がるみたいに。

散々な人生の中にも幸せな時間は必ずあるものです。雨の後に太陽が顔を出す必然のように。

だから、塞ぎこんで哀しみに暮れる時は

「こんな雨なんかで僕は塞ぎこまないよ。太陽は何してんだかね…」

と、ちょっとため息をついて気楽にぼやく事。

そんな心の雨宿りも 悪くはないもんです。

土砂降りの雨音も 心地よく感じれるものですから。

もうすぐ梅雨。 もう梅雨入りをした所もあるでしょう。 皆さんが体調を崩さず穏やかに過ごせますように。

Raindrops Keep Falling on My Head(雨にぬれても) - B.J.Thomas - 訳詞付き - YouTube

道化師のソネット。

[誰かに笑っていて欲しい]

ふとそんな事を思うようになったのは いつだろう、そう考えました。 たぶん周りの顔を伺っていた子供の頃からでしょう。性分なのだと思います。

大して自分に得があるわけでもない。 大してとても大切なことを伝えるわけでもない。大して人の心すら動かすことも無いそれに、時折なにをしているんだろうと思ってしまいます。

悔やむ人に言葉を投げて 鬱ぐ人にバカをして見せて。

それが無駄に終わったり [為に]という行為が結果足枷になったりもあるのでしょうけど今の僕が1番、僕らしいのだと感じています。

道化師。

笑顔を振りまいているその瞳に 涙のペイントが青く輝いても きっと誰かが笑ってくれたなら…。

そんな感情に浸って馬鹿だなあ、と歩きながら夜空を見上げるとなんだかぼやけて映りました。

人間、そんな時間も大切なものですね。

道化師のソネット/さだまさし(3333 in 武道館) - YouTube

街を歩けば。

少し蒸し暑い午後になんとなく外を歩いていました。

いつもの景色。 いつもの場所。

建物を背に陽が差していて。 行き交う人は笑ったり、少し疲れた顔をしていたり。

それらをぼんやり眺めながら歩いていると 不思議と生きているんだな、と妙な実感をしました。

ひとりで悩みを抱えていても時間は進む。 街行く人たちもまたひとりひとり悩みがあったり幸せがあったり。そうして心臓を動かしている。

変に干渉する事なく、そんな人々を包むように街も動く。

当たり前のそんな事。

だけど自分の殻に閉じこもってしまえば そんな景色もまた、感じる事はないのかもしれませんね。

ぬいぐるみと僕。

数ヶ月前の事。 もうこの子が来てそんなに経ったんだな、 と時間の早さを感じます。

スーパーに行く途中、小さな森を抜けて行くのですがそのあちらこちらに物を捨てている方達がいます。

日常のゴミから、色々なものまで様々です。

そこにこの子はいました。

口は破れて、お尻もぱっくり。 結構な大きさの犬のぬいぐるみさん

初めは何だか可哀想に…。と思うだけで通り過ぎましたが家に戻ってからずっと頭に引っかかっていました。

たくさん家族と想い出があっただろうに いらなくなったら棄てられて。

自分と重なりました。

翌日、雨の降る前の昼。 僕はたまらずこの子を連れ帰りました。

人の想い出を吸ったモノ。 そんな抵抗が初めはあったけど 連れて帰って手入れをしていると 涙が溢れて止まりませんでした。

同じ思いをしたんだ…そう思うと締め付けられる気持ちで。

それから悪夢を見ると不思議と出て来ては守るようにして現れるようになりました。

だから、夢=ドリームから字をとって この子の名前はドリーとなりました。 名前がないと不憫ですからね(笑)

今ではもう、ぬいぐるみとしてではなく 家族として一緒に暮らしています。

傍から見たら滑稽に映ることでしょう。

だけど、僕のかけがえのない相棒です。

諸刃の流行。

今は色々なものが溢れています。 手持ちサイズの端末から何でも分かってしまう。便利なようで怖い、怖いようで頼もしい。

でも簡単に人を傷つけるものになったりもします。言葉は凶器にもなるから、心底震えが来る時があります。人の噂もインフルエンザのようにすぐ拡散してしまう。

諸刃の剣。

言葉が安易になって、 逆に伝える事が難しくもどかしく感じる事も多くなりました。

一方的な、一方通行な会話。 会話というより独り言に近いもの。

自分が言いたい事を吐き出して終わってしまう会話。相変わらず、それに慣れる事が出来ないでいます。

安易の代償。

流行りの造語もあまり好きにはなれない。 とても軽薄なものに映ります。 これはでも、僕の先入観なんだと思います。 どうも皆が皆、同じ表現を使い回しにしているとピンと頭に入ってこないのです。

ゲームのAIに何度話かけても 同じセリフが返ってくるような無機質な感覚がしてしまいます。

変なところが冷めてしまっているのでしょうか…。

色々な世間の仕組みや流行りを見ていると 何だか産まれる時代を間違えたな、と 思ってしまう今日この頃です。